「なんでこんなにイライラするんだろう」
「言いたくないのに、強い言葉が口から飛び出してしまう」
「あとで自己嫌悪に陥るのに、またやってしまった」
——そんなふうに、自分の中の「怒り」に振り回されてしまう瞬間は、誰にでもあるものです。
けれど、最近、その「怒り」が以前よりも深く、激しく、止められないレベルまで達している人が増えているように感じます。
それは「性格の問題」や「育ちのせい」ではなく、今のこの時代が、あなたの心に無理をさせているのかもしれません。
なぜか、怒りやすくなっている「今の時代」

「怒りっぽい人が増えた。」
「スピリチュアルに傾倒する人が増えた。」
この二つの流れは、実は根っこの部分でつながっています。
それは「心が疲れ果てている」という共通点。
スマホの通知。
SNSの比較。
物価高騰。
将来不安。
家族や職場でも、自分を押し殺すことが当たり前の毎日。
そんな毎日の生活の中で「怒り」は、実は“我慢しすぎた心”が最後に出す、サインなのです。
「怒り」を悪者にしないで
「怒ってはいけない」と思うと、実は余計に苦しくなるのが人間です。
怒るのは、当然のこと。怒りを感じられるのは、生きている証拠です。
でも、その怒りに「のまれてしまう」と、自分も周囲も傷ついてしまいます。
大切なのは、怒りをなくすことではなく、“怒りを受け止める余白”を自分に与えることです。
たとえば、こんなふうにやってみてください
● イライラしたら、まず「3秒だけ目を閉じる」
え? そんなことで?と思うかもしれません。
でもこの「3秒」は、自分を取り戻す“スイッチ”になります。
「怒り」は、反射的に出る感情です。
3秒だけ目を閉じると、自動反応に「間」ができます。
それだけで、爆発を防げることもあるのです。
● 「誰か」に怒っているようで、実は「自分」に怒っているのかも
「なんでわかってくれないんだよ!」
「なんでこんなに頑張ってるのに報われないんだよ!」
その怒りの奥にあるのは、「本当は甘えたかった」「認められたかった」気持ちではないですか?
あなたの中にいる“もうひとりの小さな自分”が、
「わかってよ」「助けてよ」と叫んでいます。
スピリチュアルも、怒りも「心の逃げ場」
世の中に疲れてしまった人が、スピリチュアルに惹かれるのは自然なことです。
それと同じように、怒りっぽくなるのも、心の限界が近いサインです。
「誰かのせいじゃない」
「でも、全部自分のせいでもない」
と、私たちはもっと、自分の感情に正直になっていいと思っています。
でもそれを「誰かにぶつける」のではなく、
「自分の中だけで燃やして消す」方法を、少しずつ覚えていけばいいのです。
怒りを感じたら、「あ、疲れてるんだな」って思ってみてください。
泣ける映画を観たり、心がほっとする風景を見に行ったり、
ちょっとだけ早く寝たり。
案外そんなことで、人はちゃんと整うようにできています。
あなたが今日も、お腹が空いて、呼吸をして、それは当たり前だとみんな知っています。
でも、怒りを感じるのも、生きる力の一部です。
それに飲まれることなく生きていけたら、もっと自分のことが好きになれるはずです。
それでも、どうしても怒りが抑えられないと感じたら、我慢せずに、安全な場所にその感情を置いてきてください。
ノートに殴り書きをするでも、クッションを叩くでも、誰にも聞かれない場所で叫ぶでも構いません。
大切なのは、そのエネルギーを「誰か」に向けるのではなく、「自分自身」の中で解放すること。
そして、少し落ち着いたら、今日の「怒り」の根っこに、どんな「疲れ」が隠れていたのか、そっと探ってみてください。
もしかしたら、頑張りすぎた自分への労わりが足りなかったのかもしれません。
本当は誰かに頼りたかったのに、ずっと一人で抱え込んでいたのかもしれません。
そうやって自分の心に寄り添う時間を持つことが、怒りに振り回されないための第一歩になります。
街の喧騒の中でも、ふと立ち止まって深呼吸をするように。
慌ただしい毎日の中でも、ほんの少しだけ、自分の心に耳を傾けてみてください。
あなたの心は、きっとあなたに何かを伝えようとしているはずです。
そして、その声に気づいてあげることが、自分自身を大切にすることに繋がっていくのだと思います。
あなたは一人ではありません。誰もが、感情の波に揺れ動きながら生きています。
だからこそ、自分を責めすぎず、少しずつ、怒りとの上手な付き合い方を身につけていきましょう。
明日のあなたは、今日よりも少しだけ、穏やかな気持ちでいられますように。